信心
2012年 01月 15日「イエス様はいつも側におられる」という話でした。
ほとんどの大人は「どうやってもどうにもならん」「どうしたらいいんだ…」という絶望にかられたことがあると思います。そして一番どん底を見て、フッと諦めた時、開き直った時に楽になる、という経験もあるかと思われます。
その苦から楽へ転換ポイントに神の存在を感じたり、生命の幸せを感じたり…それがその人の宗派や哲学につながっていくのでしょう。
キリスト教の場合は「いつでも神は側におられる」というフレーズをよく使います。「信じる者は救われる」と。どんな罪を犯しても、自虐にかられても、神は許してくださる。
それを「あるわけない」「それがウソ臭い」と言われる方は、「神」を家族や親友、自分自身に置き換えてみてください。子どもがどんな重犯罪を犯しても愛する親。世間がどんなウワサをしようと信じてくれる親友。孤立無援でも自分の信念を貫くことで生き抜く力。それがキリスト教の場合、イエス様である、というだけのことです。
…と、理解しつつ、神の存在を常に認知していない私はキリスト教徒にはまだまだなれません。人生の目的、動機、支え、信念…それが今は常に子どもかRoussel(4月本番に向けて練習中のフランス音楽)かパリ(笑)。
冗談はさておき。イエス様でなくても、「いつも誰かが側にいてくれる」という他者への信用、「誰かに生かされている」という謙虚さ、そういう心はいつも持ちたいな、と考えた次第です。
教会のあと、フラフラ大阪周遊…ふと思いつき市立科学館へ。
ワタシのネ申(笑)、オリンポス12神ならぬ、ショウ12神。
自分の子が1ダース!かなりシュール。
科学館はまだまだ理解はできないけど、大人400円のみで安く遊べました。
隣の国際美術館では草間彌生展…は見ずにトイレのみ借りました。
by harusho71
| 2012-01-15 23:06
| 生活-la vie diverse